三鷹ストーカー殺人事件
事件概要

2013年10月8日午後4時頃、東京都三鷹市で「若い女の子が男に刺され倒れている」と110番通報があった。
通報を受けた警視庁三鷹署員が駆け付けると、私立高校に通う、鈴木沙彩さん(当時18歳)が自宅前の路上で首や腹から血を流して倒れているのを発見した。
鈴木さんはすぐに病院に搬送されたが、首や腹など5カ所を刺された出血がひどく、約2時間後に死亡が確認された。

殺害された女子高生 鈴木沙彩さん(当時18歳)

 

現場では近隣住民や通りがかった人などから、鈴木さんを刺した男の特徴などの目撃情報を元に、三鷹署は犯人の捜索を開始する。
そして事件から約1時間40分後、殺害現場から約600m離れた路上で、目撃情報と似た男にを発見し、署員が職務質問をしたところ容疑を認めたため、職業不詳の池永チャールストーマス(当時21歳)を緊急逮捕した。
池永は鈴木さんの元交際相手で、2011年頃に実名制SNSのFacebookにて知り合い、交際に発展し約1年間交際していた。

犯人の職業不詳 池永チャールストーマス容疑者(当時21歳)

背景

・事件までの経緯
鈴木さんと池永は2011年10月頃に、Facebookを通じて知り合い、12月頃より交際に発展した。
池永は鈴木さんに立命館大の学生と偽っており、鈴木さんに伝えていた携帯番号も友人のものであった。
池永はフィリピンと日本のハーフであり、高校を卒業後はフリーターとしてトラックの運転手などをしていた。
2人は約1年間交際しており、池永は夜行バスを使い鈴木さんに会いに来ていた。
ところが2012年9月頃、鈴木さんはアメリカへ留学することになり、池永に別れ話をする。
2013年3月頃、鈴木さんが留学を終え帰国すると、池永より復縁を迫るが鈴木さんは拒否する。
その後も鈴木さんは池永からの連絡に対し、渋々対応していたが、池永から「写真を送れ、送らないと死ぬ。俺と復縁しないと付き合っていた時に撮った写真を配る。」などとFacebookに書き込まれる。
6月頃、鈴木さんの父親が池永に電話をかけ、今後連絡しないように伝え、鈴木さんは池永の電話やメールを着信拒否設定にし連絡を絶った。
2013年夏頃、池永はもう復縁出来ないと思い、沙彩さんの殺害計画を練りはじめ、当時アルバイトしていた運送会社を無断欠勤後に姿をくらます。
9月27日、池永は高速バスを使い関西より上京し、翌日の28日に東京に到着し、それから間もなくJR吉祥寺駅近くの雑貨店で刃渡り15cmの包丁を購入する。
そして10月1日より連日に渡って、鈴木さんの自宅周辺や最寄駅周辺で待ち伏せし、付きまとい行為を繰り返す。
10月4日鈴木さんは池永からのストーカー行為を学校に相談すると、学校側から最寄りの警察署である杉並署に生徒へのストーカー被害について相談すると、鈴木さん宅の最寄りの三鷹署へ相談に行くように指導される。
事件当日の10月8日午前9時頃、鈴木さんは両親と三鷹署を訪れ、ストーカー被害の相談をする。
ストーカー相談の対応をした署員は、鈴木さんの許可を取り本人の目の前で、池永へ電話をかけるが出なかった為、署員は留守番電話にメッセージを残す。
相談の結果、池永のストーカー行為に対して、文書による警告を行う事になり、鈴木さん家族は三鷹署を出る。
鈴木さんが帰った後にも、2回わたり池永に電話をかけるが、先程と同様に電話に出ず留守番電話にメッセージを残している。
そのころ池永は鈴木さんの自宅敷地内に侵入し、鈴木さん宅2階の施錠されていない窓から室内に侵入し、1階にある鈴木さんの部屋のクローゼットの中に身を隠し、鈴木さんが帰宅するまでの数時間の間身を潜め、帰宅を待ち伏せしていた。
池永はクローゼットの中で身を潜めながら、無料通信アプリのLINEを使い、友人に鈴木さん宅の電話番号を伝え在宅確認の電話をかけてもらえるように依頼していたが、その一方で殺害に葛藤があるような言葉を友人に送信している。
そして16時半頃、鈴木さんが学校より帰宅する。
鈴木さんの両親は、仕事などの用事で不在であり、自宅には鈴木さん一人であった。
三鷹署から安否確認の電話が入り、無事に家に着いた事などの会話をする。
池永はクローゼットの中からその会話を聞いている。
鈴木さんが三鷹署との電話を切った直後、池永はクローゼットから出て鈴木さんを襲おうとするが逃げられたが、追いかけていき玄関付近で鈴木さんの首を切りつける。
鈴木さんは最後の力を振り絞り、自宅から路上に飛び出すが池永に捕まり、路上で馬乗りになり首や腹などを刺し逃走する。
その後、複数人の目撃情報などを元に、約1時間半後に捜査員によって逮捕される。

鈴木さんが殺害された東京都三鷹市の鈴木さん宅周辺

 

 

・リベンジポルノ
事件後に問題になったのは、犯行の残虐性もさる事ながら、池永がインターネットに流出させた鈴木さんの裸の画像である。
この流出させた画像は、2人が交際していた際に撮影された画像で、あくまでも交際当時のプライベートな画像である。
このような卑劣な復讐行為を”リベンジポルノ”といい、アメリカでは州によって法整備されていたが、日本では直接的に規制する法律はなかった。
池永はアメリカのアダルト動画、静止画共有サイトである”XVideos”にて、鈴木さんの名前にちなんだハンドルネームで自分のアカウントを作成し、交際中に鈴木さんが撮影し池永に送っていた性的な画像や動画をアップロードした。
さらに池永は殺害直後から逮捕されるまでの約2時間の間に、Twitterやインターネット掲示板の復讐スレッド、地域掲示板の三鷹市に絡むスレッドに、三鷹市で怨恨殺人を示唆する書き込みなど、鈴木さんとの関連を示唆しながら、自分が投稿しているアダルト動画サイトのURLを投稿した。
池永の逮捕後、マスコミが大きく報道することによって、池永が投稿した内容に気付いたネット住民によって、鈴木さんの性的な画像や動画がダウンロードされ拡散された。
鈴木さんの性的な画像や動画が拡散されている事を、大手マスコミでは当初報道しなかったが、時間が経つにつれて一般紙でも、この事件を報道する際には本件をリベンジポルノであると紹介するようになり、リベンジポルノという行為が広く認識されてさるようになる。
その後、国会でもリベンジポルノが社会問題として議論されるようになり、2014年11月19日にリベンジポルノへの罰則を盛り込んだ、リベンジポルノ被害防止法が成立した。

 

 

 

▪裁判
2013年10月29日、池永は殺人罪、銃刀法違反、住居侵入罪で起訴され、2014年7月22日に東京地裁立川支部で裁判員裁判が行われた。
検察は池永が最終学歴が高卒なのに関西有名私立大学生であると終始偽り鈴木さんと交際し、同時期に別の女性とも二股交際を行い、鈴木さんと約1年間の交際を経てわかればなしを持ち出されると、執拗に裸の画像を流出させると脅し始め、復縁する事が不可能となると殺害計画を決意し、犯行に備えてジムに通い身体を鍛え、自分を鼓舞するような犯行メモを残していた事を提示した。
また池永の母親は2013年3月に、女子高生から電話があり「手錠をされレイプされた」と訴えられた事などを証言した。

 

鈴木さんの父親が被害者参加制度にて法廷に出廷し、池永について「とても自己顕示欲が強く達成感すら感じており、反省の気持ちも感じられない。」
「事件当日の午前に娘から仮に自分が殺された時の事を聞かれ、どんな手を使ってでも仇を取ると話した。」
「結婚13年目にできた娘で私達夫婦の希望の光だった。その希望が消えてしまい、私達の将来も消えてしまった。」と述べた。

 

被告人質問で池永は事件について、「彼女を失った苦痛から逃げるために殺害を考えた。」
脅してまで関係を続ける事はおかしいと思い、忘れようとしたが無理だった。」
「(殺害について)心の整理が出来ていなく混乱しているが、後悔はしている。」
「(遺族について)苦しんでいると想像出来るが共感は出来ない。謝罪の気持ちは抱けてない。」
「(リベンジポルノについて)彼女と交際していた事を、大衆にひけらかしたかった。付き合った事を半永久的に残したかった。かなり話題になると思った。彼女の尊厳を傷つけたいという気持ちもあった。」と話した。

 

また池永と母親の証言により、貧困生活の中で狭い部屋の隣室で、母親が交際相手と性行為をする声を聞き、母親の交際相手から虐待を受け、母親が何日も家に帰って来ない事が日常茶飯事で、近所のコンビニで消費期限の切れた弁当を無心する生活を送り、母親も交際相手から暴力を振るわれていた事など、DV、ネグレクト、児童虐待の三重苦に苦しめられていた池永の成育歴が法廷で語られた。

 

2014年7月29日、検察は論告で「逃げる女性を追いかけ、路上で跨り複数回刺している事は極めて悪質である。」
「(リベンジポルノについて)殺害だけではあきたらず、女性を侮辱し名誉を汚した。」
「犯行は執拗で残忍で大胆。被害者に落ち度はなく経緯に酌量の余地はない。」と述べ、池永に対し無期懲役を求刑する。
鈴木さんの母親は「池永被告は娘の未来、夢、希望、尊厳も全て冒涜した。二度とこんな事件が起きてはならない。極刑でつぐなうべきだ。」と述べた。
弁護側は最終弁論において「殺意は強固ではなく、幼少期から虐待を受けるな成育歴に心理的負担になった。」として懲役15年が相当と主張した。

 

2014年8月1日、東京地裁は「強固な殺意に基づく執拗で残忍な犯行。」
「(リベンジポルノについて)極めて卑劣。」
「被害者に落ち度はなく、犯行動機はあまりに一方的で身勝手。」
「成育歴の影響が背景にあるとはいえ、反省していると認められず、遺族に対し謝罪の言葉すら述べていない。」と述べた一方「若く更生する可能性がある。」として池永被告に対して、有期刑の上限である懲役22年を言い渡した。

 

鈴木さんの両親は判決について「失望した。なんでこんなに刑が軽いのか理解できない。」
「判決はリベンジポルノという犯罪の本質や被害の大きさを全く理解していない。」と話した。
弁護側は過酷な成育歴が十分に考慮されていないとし8月4日に控訴した。

 

2015年2月6日、東京高裁は(公判前手続きにおいて、リベンジポルノに関する)主張、立証を行うことの当否、範囲や程度が議論された形跡が見当たらず、裁判官による論点整理や審理に謝りがあるとして、地裁に差し戻す判決を言い渡す。

 

2015年8月7日、池永は児童ポルノ禁止法違反とわいせつ電磁的記録媒体陳列罪で追起訴される。
これらの罪状で当初起訴されなかったのは、鈴木さんの両親が娘の名誉が傷つくことを懸念したためであったが、東京高裁の判決を受けて画像や動画の投稿行為が罪に反映されずに、量刑が軽くなる可能性が出てきたため、同年7月に刑事告訴した事を受けての事であった。
東京地裁は期日間整理手続きを開き、追起訴した児童買春・ポルノ禁止法違反等を殺人罪等と併合して審理する事を決定する。
最初の一審ではリベンジポルノに関する画像は2枚だけを証拠提出されたが、差し戻し審では画像67枚が証拠提出された。
弁護側からは「一旦判決が出た後に検察側が追起訴した事は、公訴権の乱用で違法だ。」と主張したが、東京地裁は「リベンジポルノの性質、内容を踏まえれば、被害者側の意見が当然考慮されてしかるべきである。」とし問題ないとした。

 

2016年3月16日、差し戻し審での判決は、池永被告が不十分ながら謝罪の言葉を述べた事が考慮され、リベンジポルノ分を加味した検察の求刑25年に対し、差し戻し前と同じ懲役22年の判決を言い渡す。

 

検察、弁護側は差し戻し審での判決を不服とし、共に東京高裁に控訴したが、2017年1月24日、東京高裁は一審の判決に誤りはないと述べ一審の判決を支持し双方の控訴を棄却した。
検察、弁護側双方が上告しなかったため、2月8日に刑が確定した。